実は短気で革新的、本当の徳川家康とは?

エンタメ・2022-11-10 18:48
実は短気で革新的、本当の徳川家康とは?
閉じる

来年の大河ドラマは徳川家康が主人公である。題名は『どうする家康』。大河ドラマで徳川家康が主人公となるのは3度目で、家康が主人公のものは大河ドラマで40年ぶりだと言う。

戦国時代の3大ヒーローは、信長・秀吉・家康だが、この3人の性格を表した言葉で

・「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」が織田信長。
・「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」が豊臣秀吉。
・「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」が徳川家康。

と、言われている。

しかし歴史を調べてみると、もっとも短気なのが家康なのだ。
そしてメンタルが弱いのも家康。

例えば元亀3年(1572)の「三方ヶ原の戦い」では、武田信玄軍が、家康を無視して浜松城を素通りしていくと、ムカッ腹を立てた家康、家臣が止めるのも聞かず突撃。さんざんにやられて敗北。
このとき城に逃げ帰る家康は、恐怖のあまり脱糞したとかしないとか。

また明智光秀に本能寺の変で信長が討たれたのを知ったとき、家康は堺から京都に向かっていたが、パニックを起こし、すぐに切腹しようとしている。
家康の手勢はこのときわずか34人、明智軍1万3000人、そして約2週間前に家康は光秀に接待されており、家康の行動はすでに光秀の知るところ。
「信長様の次は、すぐ近くにいて無防備なわしを討ちに来るに違いない」と考えたのだ。
しかし家臣の懸命な説得で、切腹はやめて伊賀の山を越えて三河に逃げることを選択する。

天下分け目の関ヶ原の戦いでも、裏切りを約束していた西軍の小早川秀秋が動かないのに腹を立て、小早川軍に鉄砲を発射。裏切るかどうか迷っていた小早川秀秋は驚いて、ようやく寝返ったという。これが本当ならすごいギャンブルだ。

保守的なイメージがある家康だが、英国人ウィリアム・アダムスやオランダ人ヤン・ヨーステンから幾何学や数学、航海術などの知識を学び、側近にも学ばせている。

そして彼らに大型船を作らせ名字帯刀を許し家臣に取り立ててもいるのだ。ただの保守的な政治家ならそのようなことはしないであろう。

また日本で最初に鉛筆を使用したのは家康。南蛮胴は信長のイメージが強いが、実際に着用したのは家康だ。意外と新し物好きだったのである。

江戸時代の鎖国は家康が始めたと思っている人も多いが、家康はキリスト教の禁教令は出しているが、東南アジア各国に渡航する船に朱印状(海外渡航許可証)を交付し、朱印船貿易を振興している。また従来のポルトガル・スペインだけではなく、イギリスやオランダの
船も日本に来るようになった。
鎖国を行ったのは、2代将軍秀忠と3代将軍の家光だ。

「家康の家臣団は犬のように忠実」というのも疑わしい。

まず家康の父も祖父も、家臣に殺されている。
三河一向一揆では家康につかず、一揆勢として家康と戦った家臣が多数いたのが史実。ちなみに信長の家臣で、一向宗の石山本願寺に寝返った者などいない。
家康の盟友と言われ、徳川家の重臣であった本多正信も家康を裏切り、三河一向一揆側についている。
大賀弥四郎が武田勝頼に内通。
筆頭家老の石川数正が秀吉へ寝返りなどなど、徳川家臣団は決して忠実な者ばかりではなかったのだ。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

関連記事
関連タグ
エンタメ新着記事