島国日本は歴史的にも国境や国防意識が甘い

社会・2023-02-11 17:57
島国日本は歴史的にも国境や国防意識が甘い
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日本は島国であり、大陸で四方が他国に囲まれた国と違い、領土問題や国防意識には、いささか鈍感であった。

例えば小笠原諸島だ。小笠原諸島は、1675年(延宝3年)、八丈島のその先に島があるという情報を日本人漂流者から情報を得た、江戸幕府が調査船を出し、一カ月ほど探検し父島、母島など島々の名前をつけ、「延宝無人島巡見記」を記している。

「無人島巡見記」というように当時は無人島だったのだ。しかし江戸幕府はその後、ほったらかし。
やがて小笠原にアメリカ人やハワイ人が住みはじめる。彼らはこの無人島を捕鯨基地にしようと入植し、開拓をはじめたのだ。江戸幕府(日本政府)はそんなことは知らない。小笠原を日本領土と思っていても、役人ひとり置かず放置状態だったのだ。

やがて幕末になり日本を震撼させたペリー提督が、浦賀に来る前に父島に寄って土地を買い、植民地政府宣言をしている。

イギリスは、ペリーが来る前に小笠原諸島占領計画を立てていたことがあるが、これは実現していない。

ペリーの『日本遠征記」によると「昔のスペイン、ポルトガル及びオランダの航海家達が小笠原諸島をよく知って」いたと記されている。

江戸幕府がぼんやりしている間に、欧米列強は小笠原諸島のことをよく知っている存在になっており、どこの国にも属さない島として船乗りたちに利用され、欧米系の開拓民たちは、島で農業を行い、捕鯨船や商船の補給基地として商売を行っていた。

幕末のペリー来航後、幕府は慌てて小笠原諸島の開拓に乗り出すが、小笠原諸島が国際的に日本の領土として認められたのは、1879年(明治9年)になってからだ。明治政府は小笠原に学校を作り、島民に日本語教育をはじめるが、同時に英語教育も行っている。島民が英語を喋っていたからだ。

もし、ペリー来航のときにペリーが強硬に、小笠原はアメリカの領土と主張していれば、いま小笠原はアメリカになっていたかもしれない。それ以前にイギリスの小笠原占領計画が実行されていれば、いまごろイギリス領になっていたかもしれない。

いま問題になっている北方領土やカラフトもそうで、江戸幕府はいまでいう北方領土や千島列島の存在は知っていたが、そんな辺境の地を占領しようとする文明国があるとは思わず、関心をしめさなかった。

当然、開拓を行おうともせず、領土防衛のこともあまり考えなかった。江戸時代中期から後期くらいにはロシア人の毛皮商人や毛皮猟師が、すでに進出していたのにだ。
幕府が焦りだすのは、18世紀末に蝦夷地(北海道)にロシア船が頻繁に現れ、日本人とのトラブルが起こったり、北方領土にロシア人が移り住むようになってからだ。

かくのごとく四海を海に守られた島国日本は、国境や国防意識というものに甘いところがある。
いまでも「尖閣列島や竹島などあげちゃえばいいじゃないか」という国会議員がいるくらいだ。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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