西洋覇権国と戦国武将② 信長編

エンタメ・2021-01-21 21:53
西洋覇権国と戦国武将② 信長編
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織田信長が宣教師と出会ったのは、1569年(永禄12)のことであった。その中には戦国日本について膨大な記録を残したルイス・フロイスもいた。

フロイスは大変な親日家であったが、それでも目的は全日本人キリスト教化であり、その後の日本植民地化。その後、当時世界のトップクラスであった日本の軍事力を使っての明(中国)を攻撃させ植民地化であることに変わりはない。

信長はそれを知っていたがキリスト教を保護する。信長の目的は、キリスト教徒が持ってきた、西洋の新知識や武器であり、また敵対している石山本願寺、比叡山延暦寺など仏教勢力と対抗馬とするためであったと言われている。

また武器としては火薬の原料となる硝石。当時硝石は日本で産出することが難しく海外から輸入するしかなかった。鉄砲の弾は鉛でできているが、これもしかり。鉛は遠くタイから運ばれてきたものだという。

信長は宣教師を通して、硝石や鉛を大量に輸入し、鉄砲を国内で大量生産したおかげで、宿敵武田軍に勝利できた。

さらに難敵であった石山本願寺との石山合戦では、高山右近というキリシタン大名の力を借りて勝利する。右近に信長に力を貸すように言ったのは、もちろん宣教師たちである。

宣教師は信長当人がキリスト教徒になるものと思っていた。ところが、信長は家臣や領民がキリスト教徒になることは許したものの、本人はキリスト教を信じようとはしなかった。

信長は、石山本願寺や延暦寺と戦っておきながら、人々に仏教を信仰するのをやめよとは言わない。

それどころか、フロイスによると「不滅の主であるかのように万人から礼拝されることを希望した」とあり、さらに總見寺という寺を建て、石を御神体として置き、信長の誕生日に人々参詣させ拝むよう命令させている。

信長は宣教師の希望通りキリスト教徒にならず、自分自身が神になろうとしたのだ。
(つづく)

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学教養学部非常勤講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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