GHQの愚民化計画「3S政策」は大成功???

社会・2022-10-19 19:32
GHQの愚民化計画「3S政策」は大成功???
閉じる

太平洋戦争が敗戦に終わり、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に支配された。実質アメリカに支配されたと言っていい。そのGHQの日本占領政策の一つに「3S政策(さんえすせいさく)」というものがあった。

「3S」とは、スクリーン(映画)、スポーツ、セックスを普及させ、日本人を愚民化するという政策を行ったのだ。この政策は大成功した・・・

というよりも、戦前からこの3つは日本人の大好物で、特にセックスは当時のアメリカよりはるかに解放されていた。村祭りは公然のフリーセックスの日であり、村祭り以外でも夜這いは当たり前だった。

また誇れる話ではないが、1906年(明治39)に実質的に東大附属高校とも云われた、第一高等学校の生徒の健康診断をしたところ、実に3分の1が梅毒をはじめとする性病に感染していたというから、性はいま以上に乱れていたと言えそうだ。

いまでこそアメリカは性の多様化だのと言っているが、日本は明治5年(1872)に鶏姦罪(アナルセックス、つまり男性の同性愛は禁止)が発令されているが、わずか10年で廃止されている。稚児や衆道の歴史がある我が国では、誰もこの法律を守らなかったのだ。同性愛がヘンタイなどと差別されるようになったのは、むしろ戦後の欧米の影響である。

他に映画も大好きで、エジソンが1891年に発明したキネトスコープが映画の起源とされているが、1898年には浅野四郎が短編映画『化け地蔵』『死人の蘇生』を撮影。日本映画は「活動弁士」という日本独自の映画文化まで創り出した。

活動弁士についてご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、当時の映画は無声映画で声も音楽もなかった。そこで活動弁士が声優よろしくセリフを読み、楽士が三味線などの音楽もつけた。欧米では上映中に生演奏はあったが、セリフを読むということはなかった。

戦前、多くの演芸小屋は映画館に鞍替えし、映画中心のプログラムを組むようになる。日本最初の映画館は明治36年(1903)、浅草の電気館である。そして太平洋戦争直前の昭和15年(1940)には、全国で2300を超える映画館が出来ていたほどの大人気であったのだ。当然、当時も外国映画を上映している。

戦前のスポーツでは大学野球が大人気で、ラジオで放送され特に早慶戦は「前売り券が少なすぎる」という抗議が新聞に掲載されるほどであり、チケットを取るために徹夜組が出るほどであった。プロ野球は昭和11年(1936)に7球団の日本職業野球連盟が発足している。

また大相撲も大人気で69連勝の記録を持つ双葉山などがおり、当然ラジオ放送も大人気だった。

これほどであるから、戦後GHQがわざわざ「3S政策」など行う必要はなかったのである。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

関連記事
関連タグ
社会新着記事