戦後昭和と平成時代の日教組とは何だったのか

社会・2022-10-18 19:30
戦後昭和と平成時代の日教組とは何だったのか
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戦後に生まれた日教組こと、日本教職員組合は発足当初、太平洋戦争で多くの生徒を戦場に送り出したという反省から、平和運動の組織であったという。加入者も当初は9割近くいたが、その後年々減り続け、いまや日教組加入率は20.8%しかないという。

戦後の昭和と平成前期の日教組は、いま以上に左翼的な団体であった。よって学校の先生方は、日の丸君が代に反対し、北朝鮮や中国、当時まだあったソ連、を礼賛する団体であった。

1971年から30年日教組委員長を務めた槙枝元文(まきえだもとふみ)という人物がいた。ミスター日教組と言われた日教組のドンである。

この槙枝氏は北朝鮮の金日成に心酔していたらしく

「(北朝鮮は)生活の不安は全くない。だからこの国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである」

「泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない」

「日本は北朝鮮のような国にならねばならない」

と、いまから見ると、おとぎ話のような荒唐無稽なことを説いて、組合員の教師たちを洗脳し、教師たちは子どもたちに同様のことを説いていた時代でもあった。

しかし1989年にベルリンの壁が、91年にソ連が崩壊し冷戦が終結すると、日教組が言ってきたことが大嘘だったことが、次々と暴かれていった。ソ連は貧しく、中国の毛沢東は数千万の人を虐殺や餓死で殺し、北朝鮮は地上の楽園どころかむしろ地獄で、さらに日本の若者たちを拉致していた。

拉致問題に関して、2003年(平成15)1月20日の産経新聞によると大分県教組は

「いたずらに『拉致』問題や『不審船』問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。(中略)しかし、そこで頭をよぎるのは日本の国家が一九四五年以前におこなった蛮行である。自らの戦争加害の責任を問わずしてほかになにが言えようか」

と、まるで拉致問題よりも過去の戦争加害の方が問題と言わんばかりだ。

東京教組は
「小泉内閣は『拉致問題』を最大限利用し、『ナショナリズム』を煽(あお)り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」

こちらは被害者に寄り添わず、日本はイラクや北朝鮮を壊滅させようとしていると、問題のすり替えを行っている。というか当時の日本やアメリカが、拉致問題を利用して北朝鮮を壊滅とは、どういう発想なのだろう?

いまでも約21万人の教職員が日教組に加入しているが、はたして昭和平成時代のこの組織についてどのように思っているのだろうか?

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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