実質日本最初の「国葬」は大久保利通 日本を変えた人物

社会・2022-09-30 21:00
実質日本最初の「国葬」は大久保利通 日本を変えた人物
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安倍元総理の国葬義も終わり、賛成反対の議論をしていた人も、ほとんどはすで興味を失ってしまったようです。さて、日本最初の「国葬」は誰かご存じでしょうか?

それは維新三傑の一人である大久保利通と言われています。大久保利通は、明治から現代に続く近代日本の基礎を作った人物。しかし、盟友の西郷隆盛があまりにも大人気なのと、西郷隆盛と対立し、西南戦争で西郷が非業の死を遂げた原因が大久保にあるとされ驚くほど人気がありません。

こんな大久保ですから、明治維新後どんなことをやったのかを知る人もあまり多くないようです。まず大久保利通は、明治維新後の最高実力者でした。

具体的に何をやったかというと、版籍奉還と廃藩置県を行い、中央集権政府を作ったことです。版籍奉還とは、当時三百あった大名たちの藩を朝廷に返すこと。廃藩置県は藩を県にすることです。大久保は、やや強引にこれをやりました。明治4年当初3府302県もありました。中央集権制度にしたいわけですから、どんどん合併させたり分割させたりして、現在に近い府県となっていきました。

版籍奉還と廃藩置県により、これまでの地方分権制から中央集権制にして、権限と財源を中央に集めることで、欧米列強からの植民地化から日本を守ったと言えます。

他にも学制(学校制度)や地租改正、徴兵令などを実施。そして富岡製糸場に代表される官営工場の設立。

各地にできた官営工場により、明治の終わりには、絹糸の輸出量は世界一となり、国を富ませることに成功しています。

また維新後の首都を東京に決めたのも大久保利通でした。

当初大久保は、首都を京都から大阪に遷都しようと考えていました。そこに前島密(ひそか)という元幕臣の官僚が「新首都は東京にすべし」という意見書を出し、これを取り入れ、東京を首都に決定しました。

当時人口100万人という世界最大の都市であった江戸ですが、幕府がなくなり江戸経済を支えていた参勤交代もなくなると、急速に衰退しつつありました。もし首都が大阪になっていれば、東京は仙台クラスの地方都市になっていたかもしれません。一方、商都大阪は首都にならなくても衰退することなく、いまでも日本第二の都市です。

そして戊辰戦争により政情不安が続く東北や北海道(当時は蝦夷)・樺太の支配のために全国の中央に位置する場所としていいと考えたのでしょう。江戸は東の京・東京となり、中央政府が置かれ、天皇は江戸城に入城、皇居となりました。

明治11年(1878)5月14日、馬車で皇居へ向かっていた大久保は不平士族6人に襲われ絶命。享年47歳。葬儀は国をあげてのものとなり、まだ国葬という名がない時代でしたが、実質的には日本で最初の国葬となりました。

もし大久保利通がいなければ、いまの日本はなかったと言っていいほどの人物でした。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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