参勤交代は大名にお金を使わせるものではなかった

エンタメ・2021-12-02 18:30
参勤交代は大名にお金を使わせるものではなかった
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参勤交代とは、江戸時代、大名が1年間江戸に住み、1年後自分の領地に帰るという制度。大人数が一度に移動するため、大変な経費がかかり、藩の財政を圧迫したという。

この参勤交代の理由をほとんどの人は「徳川幕府が、大名に金を使わし反抗できなくするため」と思っているらしい。いまでも歴史通の人が書くサイトでそう解説しているものがたくさんある。

実はそうではないのだ。戦国時代以前から、相手に服属した武将は「ご挨拶にうかがう」という習慣があった。秀吉が天下の時代、諸大名は秀吉のいる京や伏見に行き「参覲(さんきん・拝謁するという意味)」しなければ、反逆の意図ありとみなされた。北条氏が秀吉に滅ぼされたのも、北条氏が参覲しなかったからだ。後に参【覲】の字は参【勤】と変化する。

反逆者とみなされないため、諸大名は自らの意思で「参覲」するようになり、秀吉は彼らに屋敷を与えるようになる。これが江戸幕府の参勤交代のモデルになった。

やがて豊臣が滅び徳川の時代になると、諸大名は競って江戸に参覲するようになった。そのとき忠誠と自分たちの重要さを示すために、多くの兵士を連れていった。

そこで幕府は参勤交代を正式に制度化する。1635年武家諸法度寛永令を出すが「領民の負担になるだろうから、人数を減らすように」という令が出ていることから、大名の経済力を落とすという意図はないことがわかる。

参勤は「参勤交代制度」ができる前に、各大名が勝手にやっていたと言える。

しかし大名や武士にとって残念なことが起こる。大名は農民からコメを税として徴収しコメがサラリー。物価は上がってもコメの価値は変わらないため、大名は年々貧しくなり、参勤交代が大きな負担となってくる。

参勤交代は、幕府が大名の財力を削ぐために行ったのではなく、結果的にそうなってしまったというのが事実なのだ。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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