日本人の主食はコメだったのか? じゃあなに食ってたの?

エンタメ・2022-09-22 10:54
日本人の主食はコメだったのか? じゃあなに食ってたの?
閉じる

「日本人は2千年間、コメを主食にしてきた民族。小麦粉は別名メリケン粉、メリケンとはアメリカのことで、戦後、アメリカが日本に押し付けたもので日本人の体に合わない」

と、陰謀論を盲信するいささか【アレ】な人が私にいってきたことがあります。普段はそういう人を相手にしないのですが、ちょっとおもしろかったので

「ふーん、そうなんだ。すると日本一うどんの消費量が多い香川県や、粉もの文化の関西人はきっと平均寿命が短いんだろうねえ?」

と、からかってみたことがあります。もちろん特にそんなことはありません。小麦や大麦は弥生時代に稲と同時期に入って来た食べ物と考えられています。

では本題。日本人の主食はコメだったのか?

では日本人は先祖代々、白いおコメをお腹いっぱい食べてきたのでしょうか? 実はそんなことはないのです。

歴史的にみると、1960年代まで、コメの生産高は日本人口の食糧とするには足りず、コメにムギやイモ、ヒエ、アワ、ダイコン、マメ類。海藻などを混ぜて食べていました。これを「かてめし(糧飯)」といいます。

「やっぱりコメを食べているじゃないか」と思うかもしれませんが、大正から昭和初期の食生活を調べた「日本の食生活全集」(農村漁村文化協会刊)によると「(東京の)久留米の農家の例は、麦を7割あるいはさらに稗を1割入れた米3割か2割の飯」とあります。ムギ7割、コメ3割の食事で、主食はコメと言えるのでしょうか?

農学博士である野本京子氏の「農村の「食」の変容からみた近代史―農村調査資料に聴く」によると他の地域でも東京の山の手や下町など都市部では白米を食べていましたが、それ以外のほとんどの日本人は、コメに2~3割かそれ以上の雑穀を混ぜたごはんを食べており、白米だけのごはんは正月やお祝いの日のご馳走だったようです。

また、同じ文の中にこんな聞き書きが載っていました。

【1936 年生れの山下惣一(佐賀県、農業・作家)
は以下のように述べている。
コメの飯は盆、正月と祭りのときだけ。わが家では昭和 38 年までコメの飯はハレ日の食事に限られていました。「白いごはんを腹いっぱい食べたい」というのは私たちの世代の農村の子どもにとって夢だったのです。】

とあります。昭和38年というと1963年。つい最近です。しかしちょうどこの時代からコメの消費量は減少、いまでは半分ほどになっているそうな。そしていまやコメとパンの消費金額も、パンがコメを上回っています。理由は生活が豊かになり、コメ以外にも美味しいものが出てきたのと、時間の節約のためで、コメ嫌いになったわけではないそうな。

私は、消費量が減っていても、今も昔もコメが日本人の主食であると思っております。2千年間コメを腹いっぱい食べることに憧れて来た民族なのですから。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

関連記事
エンタメ新着記事