戦時中の“敵性語排斥運動”は市民運動だった!

社会・2021-08-18 10:42

戦時中、英語を使ってはならないという風潮があった。それを「敵性語」という。敵の言葉を使えないために、野球用語でいえは「ストライク」→「よし」、「ボール」→「だめ」と言い換えられもした。

敵性語は法律で決められたものではなく、一般人が市民運動・社会運動として、生まれたものだ。愛国的な人たちが、敵である米英の言葉を「けしからん」「軽佻浮薄」として排斥しようとしたのである。

この風潮に乗った国民が、当時の総理大臣であった東条英機に、英語教育をやめるように要求したこともあるが、東条は「英語教育は必要である」として、取り合わなかった。

当たり前である。英語こそ一番重要な敵情報を知る基本ツールなのである。例えば米英人を捕虜にした場合、意思の疎通はどうするのか? 捕虜から欲しい情報は英語ができないと得られない。また、敵を知るためにも英語は必須であった。

とはいえ、戦時下において英語の授業はかなり減らされたようだ。

「敵国語排斥の風潮によって,高等学校(旧剃)等の大部分の受験科目から英語が姿を消すこととなった。人間というものは浅ましいもので、受験科目からはずれたとなるとなかなかしっかりと勉強しないものである」とは、神戸松蔭女子学院大学教授(前学長)黒澤一晃の言葉である。

敵性語排斥の空気は、受験にまで影響していたのだ。

また「海軍は最後まで英語を重視したが陸軍はかなり早くから敵性語/敵国語排斥の姿勢を鮮明に打ち出していたため、陸軍士官学校、陸軍幼年学校等の受科目には英語はなくなっていた」という。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という東洋の教訓を忘れてしまった時代でもあった。

ある意味、ただの市民運動が社会の空気になり、世の中を変えていったともいえる。何となくコロナ禍の現在と似ているかもしれない。

ただし、社会や市民の風潮が必ずしも正しいとは限らない。

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