日本に残ったポルトガル語のなぜ

エンタメ・2023-02-22 18:49
日本に残ったポルトガル語のなぜ
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江戸時代、日本はオランダ、中国、朝鮮以外の国とは国交を閉じていた。いわゆる鎖国・海禁政策をとっていたからだ。

ところが国交がなかったはずのポルトガル語が、かなり日本語化しているのだ。例えば食べ物の「パン」。

パンは江戸時代ずっと付き合いがあったオランダでは「ブロート」、明治以降付き合いが深いアメリカやイギリスでは「ブレッド」、でも日本語化したのは「パン」。
ポルトガルとは江戸時代270年間付き合いがないのになんとも不思議。
他にもポルトガル語由来の言葉は

お寿司のバッテラ
雨具のカッパ
赤ちゃんを背負うオンブ
和服の下着である襦袢(ジュバン)
食器のコップ
タバコ、ボタン、カルタ、シャボン、オランダ。イギリス、フラスコ、ビスケット、オルガンなどなど食べ物から衣服、国名、楽器など実に多い。

日本とポルトガルの付き合いは、1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着した『鉄砲伝来』からだ。

その6年後には宣教師のフランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってくる。ザビエルはスペイン生まれだが、ポルトガル王からまずインドにキリスト教の布教で派遣され、そのあと日本にやってきたのだ。

やがて日本とポルトガルの間で「南蛮貿易」がはじまり、日本にポルトガルブームが起こったらしい。
ポルトガルとの国交はせいぜい80年程度。ポルトガルとの貿易は江戸時代の鎖国でなくなってしまうが、21世紀になっても日本語化したポルトガル語がたくさんあるというのは、当時のポルトガルブームがいかにすごかったかを想像させる。

現在はポルトガル語ではなく英語を中心に外国語をどんどん日本語に取り入れていて、日本人が日常会話で使っているカタカナ語は英語だけで2000語近くあるそうな。
もしかしたら日本人とはそういう国民性なのかもしれない。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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