クレオパトラ・楊貴妃・小野小町は本当に美人だったのか?

エンタメ・2023-02-14 18:57
クレオパトラ・楊貴妃・小野小町は本当に美人だったのか?
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日本で世界三大美人というと、クレオパトラ・楊貴妃・小野小町であるという。
もちろん写真はないので、どのような容貌であったのかはよくわからない。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう」とは17世紀の哲学者パスカルの言葉。
楊貴妃は、ふくよかでアソコの毛が、ヒザまで届くほど長かったとか。
小野小町は「穴なし小町」と言われ、アソコの穴がないのでは? と噂になるほどたくさんの男を振ってきたとか。

その一方、クレオパトラに関しては、あるとき100人もの護衛を相手に、フェラチオを行ったという逸話がある。仮に100人の衛兵を横一列に並べて順番にフェラをやったとして、1人1分だとしても1時間40分だ。2分でも3時間20分、テクニックはもちろん、体力的にもすごかったに違いない。

歴史家プルタルコスはクレオパトラの事を「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもない」と書き残している。

クレオパトラは共和制ローマの英雄、カエサル(シーザー)と愛し合ったが、カエサル自身はクレオパトラの容姿について語ったものは残していない。ただ複数の言語を喋るような知的な魅力に惹かれたと言われている。

楊貴妃は楽器の名手であり、唐代の玄宗皇帝の息子の李瑁と結婚していたが、玄宗は2人を離縁させ息子から奪ってしまう。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために「安史の乱」が起き、そのため「傾国の美女と」呼ばれ、処刑されている。

小野小町が美人であったというのは、あくまでも伝説。そもそも平安時代に貴族の女性が多くの人に顔を見せる機会は、それほどないのだ。
ただ「六歌仙」と「三十六歌仙」の両方に名を連ねるほどの和歌の名手であり、とても教養溢れる女性であったことは間違いない。
実は小野小町についてはほとんどわかっていない。あまりに言い寄る男たちを振り続けたためか、老いては浮浪者のような暮らしをしていたという伝説もある。

一説によると、いろいろな女性の写真を重ねていくと顔が平均化していくと同時に、美人になっていくそうな。

もしかしたら世界三大美人といわれるクレオパトラ・楊貴妃・小野小町も、平均的な顔であったのかもしれない。
しかし、知性や特技などで人々を惹きつけた可能性が高い。芸能界の美男美女も、完璧な容姿の人はあまりいないようだ。
と、すれば普通の顔の我々も、大事なのは自分磨きなのかもしれない。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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