認知のゆがみという不幸

エンタメ・2023-01-30 18:35
認知のゆがみという不幸
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「認知のゆがみ」という言葉をご存じだろうか? 「認知」とは物事の理解や判断、想像や推論をさす。

我々は日々、物事が起こったり人との会話の中でこの「認知」を繰り返している。
これがゆがむとどうなるか?

職場やクラスに入ると同級生数人が楽しそうに笑い合っている。それを見て「自分のことを笑っているんだ」と、事実ではないことを考えてしまう。
誰かのちょっとした一言を「バカにして」とか「自分は嫌われている」と解釈してしまう。

我々は頭蓋骨という遮蔽された脳の中で物事を感じ考える。他人が何を考えているかなんて、誰にもわからない。
だから誰でも誤解をすることがある。しかしいつもネガティブに考える癖がつくと、それだけで不幸だ。自分がつらいだけではなく、人間関係も悪くなり、人と会うのが怖くなる。

そのため人との交流を避けるようになる人や、逆に自分の自信なさから、他人に媚びるようになる人、いつも人目を気にし、他人と自分を比べる癖を持つ人もいる。

このような思考は、自分への評価の低さから来る。多くの場合は親が「良かれと思って」厳しくしつけることから来るという。子育てのときに皮肉や罵声、体罰をするような親ならなおさらその子どもの自己評価は低くなる。

そして子供のころにこのネガティブな思考癖がついてしまうとなかなか治らない。
認知がゆがんでいる人は、子どもの頃に植え付けられた強い劣等感や被害者意識を持っている。
これは一流と言われる大学卒でも、エリートと言われる職業についている人でもかわらない。

認知のゆがみに囚われてしまった人は、自分を攻撃しがちだが、それから逃れるために他人を攻撃する人もいる。
上から目線で見るとか、すぐに怒りだす人などもそうだ。心の底に劣等感や被害者意識があるため「バカにされたくない」「悪いのは自分じゃない」と誰かを攻撃することで、自分の心を守ろうとする。

当たり前だが多くの人はそんな人と、付き合いたがらない。よって孤独になっていく。それでまた傷つく。

そういった人たちは、自分の認知がゆがんでいると気が付いていない人も多い。
気がついていても、それを認められない人、認めたくない人もいる。どんな人でも「自分は正しい」と思いたいのだ。

しかし自分のゆがみに気が付き認めることができる人は幸いである。何らかの対策が取れるからだ。
どんな人であれ、なんらかの認知のゆがみを持っているものだ。
自分が正しいと決めつけず、ときどき自分の常識や思い込みを疑ってみるのもいいかもしれない。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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