坂本龍馬は小物? 意外と知られていない明治大正時代の龍馬像

社会・2020-10-27 12:36
坂本龍馬は小物? 意外と知られていない明治大正時代の龍馬像
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司馬遼太郎ファンなど歴史小説好きが「坂本龍馬は小物だった」とか「龍馬を有名にしたのは司馬遼太郎の創作」と言う人は多い。

では実際はどうだったのだろうか?

龍馬が惨殺されて16年後、ジャーナリストの坂崎紫蘭が高知県の新聞『土陽新聞』に一本の小説を連載する。題名は『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)』である。

主人公は坂本龍馬。この小説はベストセラーとなり、岩波書店によると、連載終了後は8回にわたって京都・大阪・東京の版元で単行本化されているという。つまり司馬遼太郎が坂本龍馬を有名にしたのではなく、この時期すでに、全国的にも有名人であったことがわかる。

そして明治24年、坂本龍馬や高杉晋作などに正四位が追贈。

明治37年、日本とロシアの国交断絶した2月6日、坂本龍馬と名乗る武士が、皇后(昭憲皇太后)の夢に現れ、日露戦争を心配する皇后に「勝敗のこと御安堵あらまほしく」という話が新聞に発表された。夢の真偽は不明だが、無名の人物が皇后の夢枕に立ったというニュースが新聞に載ることはあるまい。

昭和2年、国民的スターであった坂東妻三郎主演で『坂本龍馬』という映画も撮られている。

坂本龍馬という人物は不思議な人で、勝海舟と初めて会ったとき、龍馬は12代将軍徳川家慶のいとこである福井藩主、松平春嶽からの紹介状を持っていたから海舟に会えたのだ。

当時幕府の幹部クラスであった海舟に、攘夷の志士が暗殺を繰り返していた時代。一介の浪人がそうやすやすと会えるものではない。しかしその前に、なぜ幕府に影響力を持つ松平春嶽に龍馬が会え、紹介状までもらえたのかが謎。

さらに史実として、暗殺数日前まで、幕府の老中に次ぐ権力者である若年寄・永井尚志に、それこそ毎日のように会っていたことがわかっている。

どうやら現実の坂本龍馬は、司馬遼太郎がフィクションで描く以上に大物であったらしい。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学教養学部非常勤講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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