攘夷を旗印に幕府を倒した明治新政府は政権を取ったとたん開国に踏み切ったわけ

社会・2021-06-25 18:01
佐久間象山

佐久間象山

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大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一は、農家の生まれながら、若者時代を攘夷の志士として活躍する。

攘夷とは「領内に侵入してくる夷敵(異民族)を攘(はら)う」という意味で、元は中国の言葉であった。
この言葉が日本で盛んに使われるなった江戸時代末期、たびたび西洋船が日本に現れ日本と外交を持とうとした時代でもあった。

幕府は鎖国政策をとっていたし、アヘン戦争で清(中国)が英国になすすべもなく敗れ侵略されたことを知っていた人たちから「外国人の入国を許すな! 夷敵打ち払うべし!」という攘夷論が沸き起こったのだ。

やがて全国にも攘夷論者が大勢現れ、幕府を揺るがすような勢力になっていく。

だがこの攘夷論者には2種類いた。ひとつは本心では鎖国を解いて開国をしなければと思っているが、時代の空気を読んでの攘夷論者。この人たちは攘夷論者の指導的立場にある人が多かった。

いま一つは「日本は神国である。けがらわしい外国人に日本の土を踏ますなどけしからん」といった精神論的攘夷論者で、これが圧倒的多数。

例えば幕末期における知の巨人であった佐久間象山は、開国して西洋の技術を一刻も早く吸収しないと西洋列強の植民地にされると主張していたが、あえて米艦隊と戦争せよと建白している。象山は戦争をしても一瞬で日本は負け、それによって精神論的攘夷論者の目を覚まそうとしたらしい。

この考えは象山の弟子、吉田松陰に継承され、さらに松陰の弟子たち継承され、実際に長州藩や薩摩藩は外国船を砲撃。たちまち逆襲され観念的攘夷論は消え失せた。

そして開国を行おうとする幕府に、開国許すまじと、攘夷をしていた薩長は、幕府を倒したとたん、態度を180度転換し全面開国となる。開国して西洋の技術を取り入れない限り、日本は植民地になっていたであろう。刀や火縄銃で勝てる時代ではなくなっていたのだ。

だが、明治維新が成ったとき、まだ多く残っていたであろう精神論的攘夷の志士たちは、だまされたような気持ちであったに違いない。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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