政治家アントニオ猪木の功績とは

社会・2022-10-06 18:02
筆者はかつて猪木氏の発言集を書いたことがある

筆者はかつて猪木氏の発言集を書いたことがある

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アントニオ猪木という1人の英雄が天に召された。力道山亡き後、全日本プロレスのジャイアント馬場と、新日本プロレスのアントニオ猪木の二大看板で、プロレス界を引っ張った人だ。その猪木氏を世界的に有名にしたのは、何といってもボクシングヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦であろう。その後も異種格闘技戦を何度も行い格闘技界全体を引っ張っていった。

1989年(平成元)、猪木氏は参議院選に出馬、100万票近い比例票を集めて当選。プロレス界初であった。

政治家アントニオ猪木は、他の国会議員にできない活躍をする。1990年(平成2)、湾岸戦争直前に、逃げ遅れた日本人213名が人間の盾として、事実上の人質としてイラクに捕らわれていた。時の大統領はサダム・フセインである。

日本政府の人質交渉が難航するなか、猪木氏は個人で費用を負担してトルコで飛行機をチャーター。この時、日本人は誰も入国できなかったが、イスラム教徒の英雄モハメド・アリと戦った猪木氏は特別に許された。そして、イラクのバクダッドで「平和の祭典」というイベントを行うと宣言。またフセイン大統領の息子でスポーツ大臣のウダイ氏と面会するなど、粘り強く交渉を行った。その結果、人質となった日本人は解放されたのである。ちなみに猪木氏の行動に、外務省は妨害し、現地大使館はほとんど無視していたという。

また北朝鮮には33回も訪朝している。猪木氏の師匠である力道山が北朝鮮出身であったことからの縁だが、金正日・正恩総書記との面会こそかなわなかったが、総書記の側近など実力者とのつながりができた。こんなことは他の政治家にはできないことであった。

少し話は外れるが、猪木氏が北朝鮮でプロレスをメインにした「平和のための平壌国際体育文化祝典」を行ったとき、筆者の知人もカメラマンとして同行していた。この人は少々軽率な人で、ある女子プロレスラーに「リングに上がったらディスプレーに映る将軍様を、刀で斬るようなパフォーマンスをやってよ。その場面を撮りたいから」と頼んだ。
女子プロレスラーもあまり深く考えず、やってしまったらしい。そのため、知人は危うく拘束されそうになったという。

帰国後もなぜ自分がそこまでされなければいけなかったのかよくわかっていなかったので、筆者が「戦前の日本で、天皇陛下の写真に同じようなことをやったらどうなると思う? そもそも平和の祭典でなにやってくれてんねん」というと「あ・・・」とだけ答えていた。どうやらようやく気が付いたらしい。考えの浅い人というのは困ったものだ。あやうく猪木氏の外交努力を台無しにするところであった。

猪木氏の政治活動には賛否があったが、何よりその行動力だ。現在の政治家先生には、コロナ禍においてもやめなかった夜の銀座への行動力ではなく、国民のための行動力を猪木氏のごとく体当たりで示してほしいものだ。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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