織田信長はユダヤの末裔だったのか⁉

社会・2021-11-09 16:50
織田信長はユダヤの末裔だったのか⁉
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日本人とユダヤ人は祖先が同じであるという『日ユ同祖論』というものがある。

「縄文人はイスラエルの失われた10支族である」
「天皇家は古代ユダヤ人だった」
「古代朝廷の祭祀を行ってきた忌部(いんべ)氏がユダヤ人だった」などなどの仮説を語る人もいる。

さてここで注目したいのが戦国の英雄織田信長。織田一族は越前(福井県)にある剣神社の神官の家系であり、織田家はもともと忌部氏の流れであった。

天正3年(1575)、織田・徳川連合軍と武田勢が激しく戦った『長篠の戦い』が起る。このときの様子を描いた『長篠合戦屏風』が残されているが、そこに白い衣装にユダヤの紋章である六芒星(ダビデの星ともいう)を付けた一団が画かれているのだ。

ちなみに、忌部氏ゆかりの神社である徳島の大麻比古神社の神紋は、六芒星と同じ形の「麻紋」なのだ。と、いうことは、やはりこのダビデの星をつけた男たちは、忌部氏であり、世界を放浪したユダヤの末裔なのであろうか?

もし忌部氏がユダヤの末裔なら、元は同族である信長もユダヤの末裔ということになる。

しかし残念な事実もある。この話の根拠となっているユダヤの紋章「ダビデの星」がユダヤ人のマークとなったのは、1648年、三十年戦争のときに、神聖ローマ帝国側で武勲を立てたユダヤ部隊の旗印として、イエズス会が考案し、ローマ皇帝から与えられたもの。それまでは、六芒星はユダヤの紋章ではなかった。

つまり『長篠の戦い』が起こったのは1575年は、まだ六芒星はユダヤの紋章になっていない。

では『長篠合戦屏風』に描かれた六芒星の男たちは誰なのか?

実は日本では六芒星は陰陽師のシンボルなのだ。おそらく男たちは、陰陽道を使い信長に、天文や気象などのアドバイスをしていたのだろう。もちろん彼らが忌部氏であった可能性もあるが、信長や忌部氏がユダヤの末裔であるかは謎のままだ。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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