羞恥心は時代や文化によって変わる

エンタメ・2023-01-03 18:52
羞恥心は時代や文化によって変わる
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人はどんなときに恥ずかしいと思うのだろうか? それは共同体の文化によって違う。
もし仮に、あなたが外出したとき、うっかりズボンなりスカートなりをはき忘れたとしよう。
はっとあなたは気が付く。
あなたはとても恥ずかしいと思うはずだ。
しかしなぜだろう?
それは我々の常識、文化が「人は外出するときズボンなりスカートなりをはくものだ」というものがあるからだ。

昭和時代は、若いお母さんが電車の中で赤ちゃんにおっぱいをあげることは普通であった。
令和の現在、そんなことをするお母さんはいない。
いまでは公衆の面前で、おっぱいをあげるというのは非常識となり、そういった文化が消えたからだ。

江戸時代、庶民の日本人は裸であることは恥ずかしいことではなかった。
銭湯は混浴であり、人の見える場所で水浴びや行水をした。
家が近くなら男でも女でも全裸のまま銭湯から帰ったという。

明治4年、外国人の目を気にした新政府が、裸体禁止令を出した。
明治9年、人前に裸体をさらして警察に検挙された者が東京だけで2091人にのぼった。

日本人が「裸は恥ずかしい」と思うようになったのは「恥ずかしい」と教育されたからだ。

ちなみに西洋の場合、中世において女性が公衆の面前でおっぱいを出すことは恥ずかしいことではなかった。
おっぱいを出すドレスまであった。
しかし足を露出することには大変な羞恥があった。女性が公衆の面前で短いスカートをはくのは20世紀後半になってからである。

かくのごとく羞恥心は文化によって違ってくる。

昔は立小便をすることは恥ずかしいことではなかった。道路で男性どころか女性も溝にまたがって立小便をしていたのだ。
いまは文化風習が変わって、立小便をする人は少なくなった。それは「恥ずかしい」ことだからだ。

羞恥心、恥ずかしいといった感情はその時代や文化で変わる。
欧米人は鼻水を、ずるずるとすするのは恥ずかしいことで、人前でも思い切りチーンと鼻をかむことは恥ずかしいことではないという。

中国人にとって食事中のゲップは恥ずかしいことではないが、欧米人にとっては恥ずかしい行為となる。

羞恥心というのは対人関係があって初めて起こる感情だ。
家族の前では平気でも他人の前では恥ずかしい。
同性の前では平気だが異性の前では恥ずかしい。

羞恥心が強くなりすぎると対人恐怖症(社交不安障害)になってしまう。

対人恐怖症(社交不安障害)とは、自分が他人にどう思われているかについて不安になり、他人との交流や人前での行為などに障害が出てしまう病気だ。

生きていくうえで、羞恥心は必要だと思うがそこそこに。そこそこに。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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