日本にもあった奴隷売買

社会・2022-04-05 19:30
日本にもあった奴隷売買
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日本の戦国時代、豊臣秀吉がキリスト教宣教師を追放したのは、宣教師たちポルトガル人が日本人を捕らえ奴隷として海外に売っていたからとよく言われる。しかし宣教師のガスパール・コエリョは、怒る秀吉に対して「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が日本人を売りに来るからだ」と答えている。

実は戦国時代の日本でも雑兵が、戦地になった地域の人々を捕らえ奴隷として売るのは報酬の一部と考えられていた。これは例えば“義の武将”として有名な上杉謙信の軍勢もやっていたし、武田信玄も、敵地の領民を生け捕りにして売ることを認めており、主に女子供が捕らえられ、売られたという。

これは上杉軍や武田軍だけではなく、全国の武将が奴隷売買を行っていた。当然、全国に奴隷商人がいたということでもある。

天正15年(1587)、豊臣秀吉は人身売買を禁止したが、その理由としては労働力が不足するというのと、当時、九州など西国で急速に広まっていたキリスト教だが、西洋諸国がまずキリスト教を広めてから、植民地化をすることを秀吉が知ったため、バテレン追放と人身売買の禁止を下したと考えられている。

特に当時のキリシタンは、寺や神社を焼き討ちするなど、かなり狂暴なところがあり、それらも一向一揆でさんざん苦労してきた秀吉にとって、宗教の恐ろしさをよくわかっていて、第二の一向宗を作らないためでもあったに違いない。

徳富蘇峰著『近世日本国民史』によると、「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬が欲しいばかりに、女や男を南蛮船に運び、獣のごとくに縛って船内に押しこむゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄の如し」とある。キリシタン大名が、キリスト教徒になったのは、火薬を得るためで、火薬一樽で50人の娘が売られていたという説もある。

ドラマや映画ではあまり描かれない戦国時代の一面として、このような奴隷売買が行われていたのだ。

プロフィール

おぐらおさむ
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。

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