すき焼きのルーツは関西の魚料理だった?

エンタメ・2022-11-22 12:44
すき焼きのルーツは関西の魚料理だった?
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明治維新が起こり、文明開化の風が吹き、それまで鎖国していた日本の料理界に新しい海外の食べ物がやってきた。
肉食文化もその一つ。

江戸時代の日本人は、あまり肉を食べなかったが、まったく食べなかったわけではない。マタギなど猟師も各地にいた。
畜産をしなかった日本人は野生動物を食べていたのだ。

どうやって食べたか?
日本の昔話にはよく「タヌキ汁」が出てくるがごとく、クマ汁、ボタン鍋(イノシシ鍋)などなど、鍋や汁にして食べることが多かったようだ。

獣肉を使った鍋料理といえば、その代表格は「すき焼き」である。
ではそのすき焼きのルーツは何か?

すき焼きには関東風と関西風がある。
関東風は割下(ダシ)を使って煮る。
関西風は牛肉を砂糖と醤油で焼く。肉の後に野菜を入れると野菜の水分が出て、最終的には煮る鍋料理になる。

関東風すき焼きのルーツは、関東風は幕末の横浜で生まれた牛鍋(うしなべ)とされている。
しかし福沢諭吉の書物によると、実際は、牛鍋は横浜より早く大阪で食べられていたらしい。

さらに、関西風すき焼きにはルーツと言われる郷土料理が大阪にある。
それは魚を使った「魚すき(うおすき)」だ。

作り方も鉄鍋に砂糖と醤油で焼くやり方や、割下を使って煮るやり方があるから、関東風のルーツもこの魚すきであろう。
関西では牛のすき焼きが登場するまで、この魚すきのことを「すき焼き」と呼んでいたという。

他にも、すき焼きは元々使い古した農具である鋤を鉄板替わりにして肉や魚、野菜を焼いたものという説がある。文字通りの鋤焼きだ。
この食べ方は複数の江戸時代の料理書や記録に残っているので、これもルーツの一つだろう。

日本の鍋料理の多くが土鍋であるのに対し、すき焼き鍋はなぜか底の浅い鉄鍋もこのルーツに関係があるのかもしれない。

また鋤焼きには別の漢字があり「銚(すき)焼き」という。
「銚」には農具以外に、鍋や鉢という意味がある。鋤の中にはスコップのように真ん中がややへこんだものもあるから、鉄板焼きだけではなく、鉄鍋のように使う人がいたのかもしれない。

かつて日本人は獣肉を食べるとき、鍋や汁にすることが多かったと書いた。
幕末や明治になり、牛という新しい食材も牛鍋やすき焼き鍋にしたというのも面白い。
そしてここから、すき煮、蟹すき、うどんすき、牛丼などが派生したかと思うとこれも面白い。

すき焼きのルーツ他にも諸説ありますが、さてさて皆様、鍋が美味しい季節です。今夜はすき焼きなどいかがでしょう。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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