芸能界と暴力団のカンケイとは?

社会・2022-07-26 18:20

芸能界と暴力団は、大昔より切っても切れない関係にあることは、多くの人に知られている。そもそも現代の暴力団には、大ざっぱに分けて3つの発祥元がある。

ひとつは賭場と仕切る博徒。もうひとつはお祭りなどのときに屋台等を仕切る香具師(やし)。もうひとつは戦後の愚連隊など不良集団が組織化したものだ。

芸能界と暴力団との関係のはじまりは、芝居や見せ物小屋などの興行をやるとき、地元の博徒や香具師の親分衆に、仕切ってもらうようになったことからと考えられている。

なぜならば、大勢の人が集まる繁華な場所で、乱暴者が暴れたりすると、素人ではどうにも抑えきれない。江戸時代は町奉行所など警察力も弱い。

なんといっても100万人都市の江戸でさえ町奉行には、天保期~幕末(1830~1867年)でも、隠密廻が2名、定廻が1~5名、臨時廻が5~7名の8~14名、南北合わせても16~28名しか居なかったのだ

そこで荒事に慣れており、町の衆に顔が利く親分に頼んで興行をした方が何かと都合がよかったのである。町奉行所にしても、そういった顔役に十手を預けてある程度の権力を与え、彼らに警察の代行をしてもらったほうがいい。

むろん、十手を預かった親分たちが、必ずしも庶民の味方であったはずもなく、いろいろな弊害もあったという。

おもしろいのは、博打にしても芝居の興行にしても、江戸時代は町奉行所の手の届かないところで行われていたことである。

それは神社仏閣である。いまでも賭場を開くときに「ご開帳」という言葉を使ったりするが、「ご開帳」とは元々仏教用語で、普段はあまり公開しないご本尊など、ありがたい仏像を公開するときに使う言葉。博徒はお寺でと賭場を開くときに、それをしゃれて「今夜寺でご開帳だから」というようになった。

明治維新の十傑のひとり岩倉具視は、貧乏公家であったため、食うためにヤクザに自宅を開放し、バクチ場にしていたという。公家にも町奉行は手が出ない。

お祭りのとき、屋台が出るのは神社やお寺の敷地内。その敷地内で見せ物小屋が芝居興行を打つ。あるいは相撲や芝居をやると人が集まるので屋台が並び、浮かれた男たちは賭場へ遊びにいく。やくざと芸能や興行はセットだったのだ。

また、芝居興行などは、武士の支配権がおよばない河原などでも行われた。そこから役者のことを「かわら者」というようになる。

このように芝居、見せ物小屋、相撲といった興行は、元々警察権力の及ばない博徒や香具師と深い関係があった。

いまや『暴対法』や『暴力団排除条例』の影響もあり暴力団員の数は激減中だ。とはいえ、芸能界とやくざとの関係は伝統的なものであり、今後も続いていくであろう。

プロフィール

巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。

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